拉致問題と報道番組(その2)
2004年5月22日 政治・報道では、読みたいと思う方は長文になると思いますがお付き合いください。
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報道については、色々な報道の仕方があると思う。
世の中にテレビというメディアが登場して以来、リアルタイムで現在起こった・起こっている出来事を報道する事が出来るようになった。以前なら新聞や、本といった書物によって情報を得ていたのだから、その利便さといったら格段と向上したのでしょう。しかし、リアルタイムで放送できるようになったことで、起こった出来事をしっかりと考慮して発言する事が難しくなっているのか、最近(と言っても私の場合は、かなり昔からですが)の報道の仕方に疑問を投げかける場面が多々ある。今回、拉致問題の解決に向けて小泉首相が二度目の訪朝をして、皆さんもご存知の通り5人が日本へ戻ってくる事と相成りました。この一連の動きでのメディアの報道に疑問を投げかけるのです。
拉致問題は、ここ数年の問題ではなく、まさに拉致された被害者の家族の思いの重さがそれを示すように、長い年月の間に渡っての問題です。相手が相手ですし、一筋縄ではいかなかったのかもしれませんが、そのように長い年月が流れながら、拉致問題の解決に動き出したのは、ここ数年です。それまでの間は日本政府として、どれほどの努力をしてきたのかは、私には分かりません。(私も幼かったですし。)ただ、表面上(メディアに出てくる)、世間に知れ渡る動きが出てきたのは、小泉総理が首相になってからです。この事を頭の片隅に入れて頂いて本題に入りたいと思います。
簡単に言ってしまえば、今回の訪朝によって、日本へ戻ってきた(蓮池さんや、地村さんのお子さんにとっては、初めて来る国だから、戻ってきたっていうのもどうかとは思うんですが)拉致被害者の方々のお子さん達の知らせは非常に良い結果だったと思います。{これは少なくとも日本人である私、一個人の話です。皆さんに理解していて欲しいのは、拉致被害者の方々と一般国民(私を含む)は違うと言う認識を持っていただきたい。}ですが、今回の報道の焦点・論点となっているのは、どこの放送局も帰国できなかった方々・未だ消息不明の方々への配慮から、首脳会談が終わってからずっと、今回の訪朝の成果・評価を取り上げています。これに非常に疑問を感じます。
なぜなら、今回の小泉総理の訪朝は、基本線として拉致問題を抱えているが、外交的には日朝平壌宣言の履行にあたっての再確認と共に、国際社会から求められている、核問題・そして人道支援の事など多岐に渡ってあるべきはずだったのです。ところが、拉致問題と日朝間の進展が同時進行の為、どうしても無理が生じてきています。本来、日朝間が友好であるのならば拉致問題に関してだけで進めていけるはずなのです。
それなのにも関わらず、報道番組は一方的な見解や、それ以上の判断を勝手に自分達で作り上げていないでしょうか?報道の自由はあって当然だと思いますが、自由という言葉には責任という言葉が含まれていると思うのです。だから、やたらめったと報道する事は納得できません。今回の訪朝での評価を報道番組が「あ〜だ、こ〜だ」と報道しすぎるのもどうかと思う。どこの放送局もコメンテーターを呼んで、「今回の結果はどう思いますか?」とか「進展のなかった家族の方々から厳しい声が上がってますが?」とか「会談の中でどんな事が言われたのでしょうか?」とか。キャスターの方々は聞いていますが、それが何の為になるのでしょう?もちろん何の為にもならない!と言いたい訳ではなくて、あえて強い口調で述べさせてもらっていますが、私が懸念するのは、その報道を見て、ちゃんと考えずにその会談を評価してしまう国民がいるんだという事。そして、そういう場で発言をしているんだと言う報道関係の方々の認識を問いたい。報道とはそれほど影響力があるという事を理解しているのか?と。メディアに関わっていない素人の私が「何言ってんだ?」と報道関係の方は鼻で笑うかもしれません。しかしながら、今回の5人の帰国は少なくとも後退ではないでしょ?一歩一歩踏み出してませんかね?今までの長い月日からすれば、そうじゃないでしょうか?拉致被害者の方々が、総理に苦言を呈するのは分かるんです。長い月日を待たされての今回の結果は納得できないのでしょう。しかしながら、それ以外の人々(もちろん私を含む日本国民)にとっては、誤解を招く発言になるかもしれませんが、気にはしているだろうけど本当の意味で自分達に関わっている問題でないということです。拉致被害者の方々の思いを感じることは出来ます。ですが、当人達が発言している思いの重さを、報道関係者が簡単に言葉にしているのが、はっきり言って気に食わない。
えっと話がまとまらなくなってきたので一度頭を冷やして、その3へと行きたいと思います。(文字数制限の為)
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報道については、色々な報道の仕方があると思う。
世の中にテレビというメディアが登場して以来、リアルタイムで現在起こった・起こっている出来事を報道する事が出来るようになった。以前なら新聞や、本といった書物によって情報を得ていたのだから、その利便さといったら格段と向上したのでしょう。しかし、リアルタイムで放送できるようになったことで、起こった出来事をしっかりと考慮して発言する事が難しくなっているのか、最近(と言っても私の場合は、かなり昔からですが)の報道の仕方に疑問を投げかける場面が多々ある。今回、拉致問題の解決に向けて小泉首相が二度目の訪朝をして、皆さんもご存知の通り5人が日本へ戻ってくる事と相成りました。この一連の動きでのメディアの報道に疑問を投げかけるのです。
拉致問題は、ここ数年の問題ではなく、まさに拉致された被害者の家族の思いの重さがそれを示すように、長い年月の間に渡っての問題です。相手が相手ですし、一筋縄ではいかなかったのかもしれませんが、そのように長い年月が流れながら、拉致問題の解決に動き出したのは、ここ数年です。それまでの間は日本政府として、どれほどの努力をしてきたのかは、私には分かりません。(私も幼かったですし。)ただ、表面上(メディアに出てくる)、世間に知れ渡る動きが出てきたのは、小泉総理が首相になってからです。この事を頭の片隅に入れて頂いて本題に入りたいと思います。
簡単に言ってしまえば、今回の訪朝によって、日本へ戻ってきた(蓮池さんや、地村さんのお子さんにとっては、初めて来る国だから、戻ってきたっていうのもどうかとは思うんですが)拉致被害者の方々のお子さん達の知らせは非常に良い結果だったと思います。{これは少なくとも日本人である私、一個人の話です。皆さんに理解していて欲しいのは、拉致被害者の方々と一般国民(私を含む)は違うと言う認識を持っていただきたい。}ですが、今回の報道の焦点・論点となっているのは、どこの放送局も帰国できなかった方々・未だ消息不明の方々への配慮から、首脳会談が終わってからずっと、今回の訪朝の成果・評価を取り上げています。これに非常に疑問を感じます。
なぜなら、今回の小泉総理の訪朝は、基本線として拉致問題を抱えているが、外交的には日朝平壌宣言の履行にあたっての再確認と共に、国際社会から求められている、核問題・そして人道支援の事など多岐に渡ってあるべきはずだったのです。ところが、拉致問題と日朝間の進展が同時進行の為、どうしても無理が生じてきています。本来、日朝間が友好であるのならば拉致問題に関してだけで進めていけるはずなのです。
それなのにも関わらず、報道番組は一方的な見解や、それ以上の判断を勝手に自分達で作り上げていないでしょうか?報道の自由はあって当然だと思いますが、自由という言葉には責任という言葉が含まれていると思うのです。だから、やたらめったと報道する事は納得できません。今回の訪朝での評価を報道番組が「あ〜だ、こ〜だ」と報道しすぎるのもどうかと思う。どこの放送局もコメンテーターを呼んで、「今回の結果はどう思いますか?」とか「進展のなかった家族の方々から厳しい声が上がってますが?」とか「会談の中でどんな事が言われたのでしょうか?」とか。キャスターの方々は聞いていますが、それが何の為になるのでしょう?もちろん何の為にもならない!と言いたい訳ではなくて、あえて強い口調で述べさせてもらっていますが、私が懸念するのは、その報道を見て、ちゃんと考えずにその会談を評価してしまう国民がいるんだという事。そして、そういう場で発言をしているんだと言う報道関係の方々の認識を問いたい。報道とはそれほど影響力があるという事を理解しているのか?と。メディアに関わっていない素人の私が「何言ってんだ?」と報道関係の方は鼻で笑うかもしれません。しかしながら、今回の5人の帰国は少なくとも後退ではないでしょ?一歩一歩踏み出してませんかね?今までの長い月日からすれば、そうじゃないでしょうか?拉致被害者の方々が、総理に苦言を呈するのは分かるんです。長い月日を待たされての今回の結果は納得できないのでしょう。しかしながら、それ以外の人々(もちろん私を含む日本国民)にとっては、誤解を招く発言になるかもしれませんが、気にはしているだろうけど本当の意味で自分達に関わっている問題でないということです。拉致被害者の方々の思いを感じることは出来ます。ですが、当人達が発言している思いの重さを、報道関係者が簡単に言葉にしているのが、はっきり言って気に食わない。
えっと話がまとまらなくなってきたので一度頭を冷やして、その3へと行きたいと思います。(文字数制限の為)
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